モノクロの僕らの毎日に彩りを

無意識な多重人格

どうも安川です。

 体育の1500m走で1週多く見誤って、

「よし、ラスト1週!スパートかけるぞ!」

って思ったら、もう試合は終わっていたことに気づき、

その日の午後、ずっと嘆いていました。

#目標は6分で記録は6分1秒とか悔しすぎるやろ

 

というわけで本日は、「無意識な多重人格」というテーマで話していきます。

 

事の発端は、哲学の授業(というより話し合い)で

友人の定義」について話していたときなんですけど、

1人の女子が、ありのままの自分で接せる人かどうかが、

友達かどうかを決めるって言ったんですね。

 

今回はそれが面白いなと思って深堀りしてみました。

 

まず、僕はありのままの自分って何?って日頃から思っていまして。

 

例えば僕は、

 

家で見せる自分と

学校の友達に見せる自分と

ネットの世界で見せる自分と

頭の中の自分と

こう見られたいという自分が

 

ちょっとずつ違ったりするんです。

これは、経験ある人も多いと思います。

 

で、それをもってしたときに、人によっていろんな顔を

使い分けているじゃないですか。

 

だから、この人といるときはこういう姿でいるのが楽。

とかって往々にしてあるんですよ。

 

付き合った途端とか、結婚した途端に人格変わる人の中にも

このパターンはあるんじゃないかなって思ってます。

 

でも、全く不思議なことではなくて、

むしろ全員に対して全く同じ態度や人格を向けている人なんていませんよね?

いたら、ある意味尊敬します。

 

ここで「ありのままの自分」に関する今の僕の考えの結論を提示するとしたら、

ありのままの自分は、存在しないけど存在する虚数のようなもの。

ですかね。

 

存在しないともいえるし、全てがありのままの自分と考えることもできます。

後者のほうなら、先ほどの

ありのままの自分で接せる人かどうかが、友達かどうかを決める

っていうのもわかります。

 

う~ん、難しい。

哲学は無理に結論を出す必要はないけれど、求めたくなってしまいます。

 

仕方ないのでいったん忘れて、今日も作業です。