モノクロの僕らの毎日に彩りを

僕がたどり着いた「人を殺してはいけない」シンプルな理由

どうも安川です。

 基本、世界中のルールで「人は殺しちゃいけない」ってなってるじゃないですか。

で、なんでだろうって考える人もいると思うんですよ。

 

みなさんにも、いろいろ考えてほしいです。

一回何も見ないで考えて下さい。

このブログも見ないで。

これはあくまで、僕の個人的なものです。だから、

あなたの考えがぼんやりとでもある状態で

読んでほしいです。

 

というわけでおかえりください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで、来た人は自分の考えが少しでも浮かんだ人だと思います。

なんとなく、こんな感じかな~っていう風に。

 

じゃあ本題の、僕がたどり着いた結論からいきます。

それは、

「そのほうが、経済や文化が発展するから」

ってだけです。

よく言われるのは、儒教的・道徳的な考え方である

「倫理に反してる」

みたいなことですけど、なんやねんその「倫理」って

っていつも思ってます。

 

そんなんじゃ、子供は納得いかないんですよ。

目の前にいる人と喧嘩したら、手を出します。

 

じゃあ、幼稚園児とか、小学校低学年の子とかに聞いたらどうなるんかって言ったら、

「おまわりさんにつかまっちゃう」

っていうんですよ。

 

これも違う!

 

まだ、知識も理解力もないので、難しい話はできないし、自分で調べる力もないから、親や教育者が簡単に説明できるように作られたのがこの理由です。

 

たしかに、おまわりさんにはつかまっちゃうんですが、つかまんなかったらやるの?

ってことですよね。

友達と喧嘩するたびに相手を殺してたら、後悔しか残らない、、、

 

じゃあ何って言われたら、この、

経済とか文化とかの発展のため

という結論に到達するのかなと思ってます。

 

じゃあ、詳しく説明します。

 

まずは、街を歩いていて常に殺される危険があるとイメージしてみてください。

 

シンプルにきつくないっすか?

 

周りの人の顔色ばかりをうかがうし、ミスをしてもいけないし、

いざというときのために体を鍛えないといけないですよね?

 

つまり、批判の対象になるようなことはできないし、変わったことをやるのもダメなんです。

常に、恐怖と隣り合わせなわけです。

こんな世界だったら、僕はすぐに殺されてますね。

 

逆に、危険がないとどうなるかっていうと、

 

顔色をうかがわずに言った意見で会社が成長するかもしれませんし、

ミスをしてもやり直しできるし、

体は最低限鍛えていれば、それ以外の時間を生産的なものに使うことができます。

 

批判の対象になったとしても、熱狂的なファンがついて、それで十分な人もいますし、

変わったことをやる人は、希少性があるとみなされて、評価されます(ものにもよりますが)。

 

誰も人を殺してはいけないという前提の社会の方が経済や文化が発達するのは至極当然の事なので、それを止めるようなことはダメだよってことです。

 

僕は、殺人を許容することによって生まれる価値もあるとは思います。

ただ、殺人を許容したときに生まれる価値と、否定したときに生まれる価値では後者の方が圧倒的に大きいんです。

 

そりゃそうですよね。

優秀な人は妬まれて殺されるし、

そもそも、殺人がまかり通る世の中では、何も信用できなくなります。

 

だから、認められる殺人って、死刑だけですよね。

死刑は、経済とか文化とかの発展に必要なルールを破ってる人に与えられる刑の一つです。

 

まぁ、僕の考えはこんな感じですけど、

他の考えも、聞いてみたいなと思うので、

ぜひ教えてください。

 

じゃあまた。